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Ishinomaki Team#20: Kokoro-no Care

東京バプテスト教会の東北復興支援ミッションチーム20は2011年9月23日から26日の4日間かけ、石巻で仮設住宅集落訪問をしました。3月11日の東日本大震災から既に半年が過ぎ、被災地・石巻では今は衣食なんでも買えるようになり、市の中心部にはガレキも無くなり、テレビやインターネットで流れた凄惨な様子は見当たりません。しかし津波・地震の爪痕は海岸や川、港付近にまだ深く残り、人々からは「こわくて津波が来た場所にはまだ行きたくない」というような声がしばしば耳にしました。

9月23日(金)

連休朝、チーム20の9名は、子供たちのミニストリーであるキッズコネクションの方たち9名と共に東北に向かいました。初日は、ほぼ車での移動で過ごしました。現在、災害派遣車両の許可証がある場合、高速道路料金が無料です。いくつかのサービスエリアでの休憩を経ながら、夜9時ごろに鹿島台にある元かんぽの施設到着。現地コーディネートを担当するYokoさんが迎えてくれました。

9月24(土)

石巻市・水押野球場の仮設住宅集落でバーベキュー、子供のコンサート、たこ焼き、わたあめ、ヨーヨー釣りなどと聖書や援助物資の配布、ジョイカフェを通じた心のケアを行いました。まず午前中、食事材料の準備のためにイオンスーパーへ。途中、先日の台風で冠水したと思われる収穫直前の黄金色の田んぼが広がっていました。スーパーでは首都圏よりいち早く暖房器具などが広い売り場に飾られ、日本の他の地域となんら変わらない風景に見えました。ですが、店員さんの話では、このイオンからたった1キロ近くにまで津波は押し寄せたそうです。子供たちの賛美は昼と午後にわたって2回行いました。この仮設住宅に住む写真愛好家のAさんによれば、集会所などのイベントに顔を見せるのはいつも同じ人ばかりで、他に家にこもったままや、失業している人などの心の傷はさらに深いだろうといわれました。

私の夫は、仕事の関係で土曜夜に新幹線で先に帰宅しました。石巻から仙台の途中一部は、JR線路周辺に津波の被害を受けたため、現在、代替バスになっているそうです。ゴーストタウンのような場所を1時間ほどバスで揺られて、仙台まで行き着いたとの話でした。

9月25(日)

石巻北高等学校飯野川分校グラウンドの仮設住宅集落で、前日と同じようにバーベキューなどを行いました。直前にリーダーの鎗田氏と川端りささんとで石巻市役所に行き、仮設住宅集会所の鍵受け渡しをしましたが、駅前にある市役所庁舎周辺はガレキ撤去されて、いたって普通の街並みでした。駅前で自転車に乗っていた男性と話をしましたが、全国からのボランティアが片付けに協力し、多くのクリスチャンの団体も石巻を訪れたそうです。その時も、私達のチームの青いベストによく似た色のベストを着たピースボートの団体が歩いていました。高校の仮設住宅ではこの日、他団体による食糧配布、映画上映会などと重なりました。全国から多くのボランティアが多様な支援をしていることがわかりました。

他の仮設住宅から来たヘルパーの方々と共に野菜や肉を準備し、食事を提供。キッズコネクションの一行は、月曜に学校があるため、昼ごろに賛美コンサートをして、日曜午後には東京へ戻りました。夕方には、Mr Curtisが歌を歌い、ヘルパーとチームのスタッフが手をとって踊るひとときもありました。

9月26(月)

昼前に、訪問した仮設住宅の人々が以前住んでいた北上川河畔の大川小学校近辺とリアス式海岸に面した雄勝町を見学しました。まだ道路も復旧せず、がれきの山が積もり、公民館の屋上にバスが載っているような場所です。雄勝町では、破壊された場所と川の高さから見て、海から狭い山間に高さ50メートル近くの津波がおそらく押し寄せたに違いありませんでした。それから、昼過ぎに港近くのMs Sの家、TBC@石巻を訪問し、Mr Nに会いました。その後、東京に向かい、夜9時半頃に教会に帰着しました。

今回のミッショントリップの印象は、石巻では物的必要はほぼ満たされ、町はかなり復旧が進んでいるように見えました。ですが同時に、被災者がいまだ抱える心の傷やストレス、特に社会的なつながりに積極的になれない、または自分の気持ちを吐露できない方々へのケア、さらに就職や経済の面のサポートが必要に感じられました。東北の早い復興とイエス・キリストの愛を引き続きミッションチームが伝えていけるよう願うばかりです。

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